夢成さねば夢のまま

なんとなく、な日々を生きていました。 昨日まで。今日からは…?

読書感想・『マリアビートル』

伊坂幸太郎の『マリアビートル』を読んだ。

文庫本になってすぐに買ったものの中々読み進められず、何度も始めから読み直して脚掛け何年?
もかかってしまった。

俺は小説を読むときはあまり情景や人物を想像しない。多分星新一の影響が、もっと言うと星新一の文庫本の解説の影響が無きにしもあらずだと思う。

星新一の文体は平易で通俗性を排除した物が殆どだ。名前や地名のみならず、「さえない男」とか「ぱっとしない青年」みたいな最低限の情報しか書かない。
これらは、昔の海外の短編小説にはよくあったそうで、星新一はこれに影響を受けたとされている。
と、解説ではよく書かれている。
そのために古びることなく何十年も傑作として残り続けていると。

そういうのばかり読んでいたから、「なるほど、誰にでも想起できて時代性の強くない文章がよい文章なのか」と思い込み、そのまま固定観念として残ってしまった。
だからといってそれ以外が悪文というわけではなく、ただ好みがそうであるというだけです。
何が言いたいのかと言えば、頭でシーンを一々考えながら読むのは向いていないので、最近は特に小説を読むのがとても辛かった。
しかし小説を書きたい読みたい欲求が溜まってきて溢れんばかりになったので、リハビリをかねて小説に再トライしようと思いたったという次第だ。

こんな俺でも伊坂幸太郎は大好きである。
彼のはかなり読みやすい文体だ。
最近マガジンの対談で「文章のリズムを重視している」と言っていたが、正に心地よいリズムを奏でてくれている。
だからリハビリには丁度いいと考え、読みあぐねていたマリアビートルを、休暇を利用して一気に読んだ。

ようやく本題だ。
やってやるぞ、と意気込んで、最早何度目かの冒頭、木村が新幹線に乗り込む所からページを捲った。







家だと集中出来ないと思い喫茶店ハシゴして読んだかいがあった。
やはり面白い。そしてやっと読めたという気持ちでいっぱいだ。
最初は地の文が多く、頭をフルに使い酷く疲れた。
しかし全員の判子が一通り出てきた辺りから一気に物語に没頭していく。

やっぱりテンポがいい。物語の読ませる力と、文章のテンポがそれぞれエネルギーを生み、俺をぐいぐいっと引っ張っていく。
新幹線から無事に降りれるのか。一人目はどこの殺し屋の仕業なのか。あの子は助かるのか。
キャラクターもいい。いつもいいけど今回もいい。
久しぶりに「こいつ早く殺されねえかな」と思った。めちゃくちゃイライラした。
「何でこいつ死ぬんだよ。生きてんだよ。」とも思った。どれだけ掌の上で転がされたかわからない。
これがロックンロールか。

そして最後は大団円。
分かってはいるけどやはりきちんと着地する。
というか伏線回収しすぎだろ。
「銃の存在を描写したからには、作中で発射されなければならない」という短編の鉄則があるが、長編でこの回収っぷりは本当に半端ない。
逆再生の動画を見ているみたいだ。

10時くらいから読み始め、16時には読み終わった。
移動時間も含めるとたぶん読書時間は5時間くらい。
本当にノンストップだった。
脇に置いたスマホも気にならず、ただただ読み続けた。
今は心地よい頭の疲れと、達成感に満ち満ちている。
読んでよかった。

あまりレビューになっていないけど、かなり読書感想としては生の声が出せたと思う。
ここはナントカ、この人物はダレソレ。
そういうのにはこだわりがあまりない。
考える時もあるけど、基本読んで面白いかどうかしか俺の中にはない。

ただこの小説はいい小説だとはっきり言える。
いい小説とは何なのか。俺はいつも「もう一度読みたくなる小説」だと思っている。
一度読んで、はいおしまい。とならず、いつかまた読みたくなる小説。
ふとした時に頭の中でその小説のことを考える小説。
そういうのがいい物ではないかと思う。

忘れ去られず、ふとした時に浮かび上がる。

漂えど沈まず。

それは不死身だ。

死んでも復活するんだ。

翌年になってもまた実をつける、果物のように。